
当会には、同じ製作者として頭が下がるような努力と研究、そして社会に貢献をしてこられた先輩がたくさんいらっしゃいます。VSJの原点として、本レポートに連載していくことになりました。初回は小林陽一さんです。
大正4年7月8日福岡県生まれ、今年92歳になられました。旧制九段中学を卒業後、鉄道省に入省。昭和15年、25歳のときに陸軍に徴集され自動車隊に配属、兵役後は現在のキャノンに入社し、レンズの研究。太平洋戦争で2度目の徴兵、30歳で結婚。終戦後は交通公社職員としてロシア、オーストリアなど世界の音楽の都を訪ねることができたそうです。激動の人生の中、変わらなかったのが音楽への情熱。中学生のときバイオリンに興味を持ち、アマティ、ストラディバリやガルネリの文献を調べ、音楽の先生にバイオリンを作りたいと相談した。しかし父親の猛反対で諦めざるを得なかった。でも、いつかバイオリンを作りたい!と社会人になってからも文献を集め続けたのだそうです。
ヘロン・アレンの原文をたよりに初めてバイオリンを作ったのが62歳。音楽之友社主催のバイオリン作り特集に応募し、初めて専門家の指導を受けることができたのが66歳の時だったそうです。その後一年に2台ずつ作り続け、今まで作ったバイオリンは35台、ビオラ4台、チェロ8台。これらの多くは現在、千葉県少年少女オーケストラで使われている。きっかけは佐治薫子(さじ しげこ)先生との出会いである。ある日、小学校の窓越しにすばらしいエグモントを聞いた。そして楽器が足りなくて困っていた先生に小林さんは楽器の提供を申し出たのである。その後も多くの作品が託され、佐治先生は数々の小学校のオーケストラを優勝させた。先生が定年となる1996年、千葉県は少年少女オーケストラを創設し彼女を音楽監督に就任させた。
小林さんの喜びは自分の作品が少年少女オーケストラで代々引き継がれ、弾いてもらえること。そして卒団した子供たちがバイオリニスト、ビオリスト、チェリストとして活躍を始めていることだそうです。

