
楽器製作の歩み
突然の原稿の依頼で戸惑ってしまいましたが、思いつくまま製作に関すること、その他を書いて見たいと思います。ドイツのピアノ製作者であるスタンウイーは代々炭焼きを家業としていたようですね。私は炭焼はやった事がありませんが、子供の頃から父親の山仕事の手伝いをしてきましたが、木の事など父親から教わることが多かったですね。山では危ない事が何度かありましたが、貴重な体験もありました。森の豊かな恩寵、そして情操を無償で与えられてきた心の糧もありました。若さの至りで、20代には持山の朴ノ木を伐採、深山から担ぎ出して彫刻をやっていた時期がありました。
子供の頃、楽器が欲しい事もありましたが余裕の無い生活でしたから、我が家にあったのは一枚の紙鍵盤だけでした。私にピアノを教えてくれたのが教会のオルガン奏者だった冷泉アキ先生でした。当時は唯一音楽の勉強と言ったら礼拝で歌う讃美歌だけしかありませんでしたから、会衆と共に1番を歌い、2,3,4番をそれぞれアルト、テノール、バスで歌うようにしていました。一年に一回は会員の声楽家の方が歌唱指導もしてくれていました。
20代の或る夜の事、地元のホールでヴィオラ奏者のユーリバッシュメットのヴィオラの演奏会があったのです。ホールの残響もあったのでしょうが、大変感動的な演奏でした。それが機会と言っては何ですが、ヴィオラの演奏を地元の合奏団、オケ「仙台、」で開始したのです。木と音楽がいつ合体したのかは忘れてしまったが、それから楽器製作の道へ進んだわけです。
長野県の木曽は檜の産地と言う事もあったのでしょうが、ちょっとしたきっかけで木曽福島の工場に行くことになったのです。バイオリン作りの手ほどきは木曽鈴木バイオリンの工場長であった安井実さんから教えを受ける事が出来ました。その後上京、東京では多くの製作者との出会いがあり、楽器製作、楽弓を学ぶ事になったわけです。皆さんからは誠意をもって教えて頂き、ほんとうに感謝な事ばかりでした。
2002年7月、研究会のメンバー20名「同伴含め」でイタリア、ドイツへの旅行をしました。イタリアでは菊田、高橋両君、それに内山さんに大変お世話になりました。天気に恵まれて有意義な旅を終える事が出来ました。
今、チェロ製作中です。1693年のマッテオ・ゴフリラをモデルですが、全長767mmと大きなチェロです。ネック、横板を削り、ブロックと進行中です。チェロは心象風景を広く、深く表現することができる楽器だと思います。チェロは器が大きいだけに木工技術も「板剥ぎ」等が難しくなりますし、チェロは各パーツを削るのが大変ですね。苦労はありますが楽しみも増えるというものです。私は楽器作りは木工技術と音感は両輪だと思っています。演奏家の表現に対応できるだけの音感を身に付けたいものです。
木曽の思い出
長野県の木曽福島はバイオリン制作の振り出しの町です。木曽町は木曽谷といって谷の底を木曽川が流れています。古い家並が川に沿って続くその景観は趣深いものです。町の一段高いところには中央西線の木曽駅があり、そのまた上に国道が走っています。昔は鈴木バイオリンの工場は木曽の町の中心街にあったらしいのですが、私が行った時には木曽川下流の木工団地の中に移転していました。工場に滞在中は山の中で、これといった楽しみもなかったので友人とドライブに出かけたり、夜は退屈で縄のれんに行ったりと気をまぎらわしていました。深夜、宿に帰る途中の坂道に島崎藤村の小説に出て来る家並らしきものがあったのを覚えています。木曽福島は藤村のお姉さんが住んでいた所とも聞いています。
当時、木曽町では年に一回「木曽音楽祭」が開催されていました。友人に誘われ二回ほど聴きに行きました。ホールの前庭でアルプス・ホルーンを鳴らし、松明を焚いての素晴らしい音楽祭でした。また、木曽駒ケ岳は木曽福島の町の目の前にそびえる山ですが、標高が2956メートルと木曽の山並みの最高峰です。私は木曽町に長く滞在していて一度も登ったことはありませんが、友人とある時バイオリンの先生宅にお邪魔した際、突然、部屋の窓から木曽駒ケ岳の全貌が姿を現したのです。余りの美しさに感動してしまい、すっかりバイオリンことを忘れてしまいました。木曽駒ケ岳の登山口からは北方向に北アルプスの山並みが、そして西に独立峰の御嶽山が望めます。木曽福島は娯楽施設こそありませんが雄大な自然に囲まれた町です。もう一度訪ねてみたいところです。
木と弦楽器
長野県の木曽では木を切る事を木を寝かせると言う。さすがに檜の産地である。また、日本の神社に奉納する木は電動鋸などでは切り倒したりはしない。数人で斧を使い時間をかけて切り倒すのである。いずれも自然の摂理にかなったやり方で或る。木は水、土などと並んで神聖な物の一つです。また、木は人間の手を掛けない自然のものは強く、しかも美しく長持ちするのではないかと思います。福島県三春町にある千年桜のようなものではないでしょうか。そして自然の木には美しい音色が秘められている事も解っています。
ピアノのスタインウエイの時代、そして1600年代のストラデイバリオスの時代には手つかずの木が沢山あったことでしょう。ストラドが作った美しい音色のでる楽器は手付かずの木で作られたのではないかとも想像しています。しかし現代では自然発生の木で楽器を作ることなどと言う事は考えられないことです。木を切る事は木の命を絶つことですが、楽器作りは切り倒した木を蘇生させることではないかと思うのです。また、楽器作りは木工技術であり、音色を創りだす事でもあると思います。多くの木工の世界がありますが、楽器作りは木工技術の最高水準にあり、また、音響の世界でもあります。
バイオリンの音色は湧き出る清水のような透明感のある豊かな美しい音色をもっていますし、また、低音を支えるチェロは深い音色をもって人間の喜びや悲しみを静かに、時には激しく奏でる事が出来るでしょう。弦楽器を奏でる事は万華鏡のように色彩に輝く宇宙との対話ではないかとも思っていますが、昔の音楽家の人達は満天の夜空に輝く星座に思いを馳せて数多くの曲を創ったのではないかと想像します。まさに調和の霊感ではないでしょうか。
聖書の詩篇にはダビデが琴を鳴らして神を賛美したと書かれています。「ハープー弦楽器」これは啓示の世界で在り、神が一方的に朽ち果てるべき人間への深い愛の働きであると思います。2014年中国の四川省に旅をした時の事です。旅の三日目に九寨溝の3千メートルを超える高山に登った時の事、山の下り坂で緑色をした木を見つけたのです。こんなに美しさに満たされた木があるのかと感動してしまいました。人の手を掛けない木とはこういう木なのかとしばらく見とれてしまいました。世界にはまだまだ知られざる木が無数にあるのではないかと深い山中で木の世界への夢をふくらませました。