2023年 展示会の試奏予定

5月20日(土)11:00~ ビオラ

1.木村 進 2.赤荻健介 3.吉田保雄 4.上田政博
5.平田教次 6.河村盛介

13:00~ バイオリン (製作者希望曲、ーは演奏者お任せ)

1.柳 和宏(モーツァルト)2.平田教次(サン=サーンス)3.中野伸一(ー)
4.星 周二(サン=サーンス)5.吉川光洋(ベートーベン)6.菊田 浩(サン=サーンス)
7.山口大地(ー)8.武内健三(エルガー)9.吉田保雄(サン=サーンス)
10.菅沼利夫(ー)11.赤荻健介(サン=サーンス)12.佐藤康夫(サン=サーンス)

15:00~ バイオリン

1.小嶋正三(ベートーベン)2.簗瀬 敬(サン=サーンス)3.百瀬今朝由(パガニーニ)
4.秋葉 勝(ー)5.土屋貴寛(サン=サーンス)6.清塚房男(エルガー)
7.前島隆生(ベートーベン)8.下田裕一(サン=サーンス)9.犬塚興一(パガニーニ)
10.河村盛介(ー)11.木村 進(サン=サーンス)12.杉原崇憲(パガニーニ)

5月21日(日)11:00~ チェロ

1.犬塚興一 2.上田政博 3.下田裕一 4.杉原崇憲 5.齋藤久吉

13:00~ バイオリン

1.星 周二(J・シュトラウスⅡ)2.前島隆生(チャイコフスキー)3.杉原崇憲(フランク)
4.下田裕一(ドボルザーク)5.小嶋正三(チャイコフスキー)6.大内 啓(ー)
7.木村 進(フランク)8.簗瀬 敬(チャイコフスキー)9.上田政博(ベートーベン)
10.秋葉 勝(ー)11.河村盛介(ー)12.高橋 明(チャイコフスキー)

15:00~ バイオリン

1.山口大地(J・シュトラウスⅡ)2.南 修治(フランク)3.吉田保雄(ドボルザーク)
4.赤荻健介(ベートーベン)5.平田教次(チャイコフスキー)6.菅沼利夫(ー)
7.武内健三(ドボルザーク)8.吉川光洋(チャイコフスキー)9.犬塚興一(フランク)
10.柳 和宏(ドボルザーク)11.菊田 浩(チャイコフスキー)

なお、どの曲を弾くかについては、最終決定者は演奏者になりますので、
ここに掲げた曲は仮になります。バイオリンでは音階、無伴奏の演奏後、
決定します。

2023年日本バイオリン製作研究会展示会

4年振りに、春の展示会を5月20日(土)、21日(日)、東京池袋自由学園明日館講堂
で開催します。ポスターが出来ました。

入場されるにあたってのお願い
例年、行っておりました楽器・リュック等お荷物のお持ち込み・お預かりは
感染防止及び会場のスペースの都合上、中止させていただき、最寄駅の
ロッカー等にお預けの上、ご来場いただければ幸いです。また、試奏の際、
乳幼児の泣き声が妨げになりますので、ご配慮をお願いいたします。

齋藤 久吉さん

楽器製作の歩み

突然の原稿の依頼で戸惑ってしまいましたが、思いつくまま製作に関すること、その他を書いて見たいと思います。ドイツのピアノ製作者であるスタンウイーは代々炭焼きを家業としていたようですね。私は炭焼はやった事がありませんが、子供の頃から父親の山仕事の手伝いをしてきましたが、木の事など父親から教わることが多かったですね。山では危ない事が何度かありましたが、貴重な体験もありました。森の豊かな恩寵、そして情操を無償で与えられてきた心の糧もありました。若さの至りで、20代には持山の朴ノ木を伐採、深山から担ぎ出して彫刻をやっていた時期がありました。
 子供の頃、楽器が欲しい事もありましたが余裕の無い生活でしたから、我が家にあったのは一枚の紙鍵盤だけでした。私にピアノを教えてくれたのが教会のオルガン奏者だった冷泉アキ先生でした。当時は唯一音楽の勉強と言ったら礼拝で歌う讃美歌だけしかありませんでしたから、会衆と共に1番を歌い、2,3,4番をそれぞれアルト、テノール、バスで歌うようにしていました。一年に一回は会員の声楽家の方が歌唱指導もしてくれていました。

 20代の或る夜の事、地元のホールでヴィオラ奏者のユーリバッシュメットのヴィオラの演奏会があったのです。ホールの残響もあったのでしょうが、大変感動的な演奏でした。それが機会と言っては何ですが、ヴィオラの演奏を地元の合奏団、オケ「仙台、」で開始したのです。木と音楽がいつ合体したのかは忘れてしまったが、それから楽器製作の道へ進んだわけです
 長野県の木曽は檜の産地と言う事もあったのでしょうが、ちょっとしたきっかけで木曽福島の工場に行くことになったのです。バイオリン作りの手ほどきは木曽鈴木バイオリンの工場長であった安井実さんから教えを受ける事が出来ました。その後上京、東京では多くの製作者との出会いがあり、楽器製作、楽弓を学ぶ事になったわけです。皆さんからは誠意をもって教えて頂き、ほんとうに感謝な事ばかりでした。
 2002年7月、研究会のメンバー20名「同伴含め」でイタリア、ドイツへの旅行をしました。イタリアでは菊田、高橋両君、それに内山さんに大変お世話になりました。天気に恵まれて有意義な旅を終える事が出来ました。
 今、チェロ製作中です。1693年のマッテオ・ゴフリラをモデルですが、全長767mmと大きなチェロです。ネック、横板を削り、ブロックと進行中です。チェロは心象風景を広く、深く表現することができる楽器だと思います。チェロは器が大きいだけに木工技術も「板剥ぎ」等が難しくなりますし、チェロは各パーツを削るのが大変ですね。苦労はありますが楽しみも増えるというものです。私は楽器作りは木工技術と音感は両輪だと思っています。演奏家の表現に対応できるだけの音感を身に付けたいものです。

木曽の思い出

長野県の木曽福島はバイオリン制作の振り出しの町です。木曽町は木曽谷といって谷の底を木曽川が流れています。古い家並が川に沿って続くその景観は趣深いものです。町の一段高いところには中央西線の木曽駅があり、そのまた上に国道が走っています。昔は鈴木バイオリンの工場は木曽の町の中心街にあったらしいのですが、私が行った時には木曽川下流の木工団地の中に移転していました。工場に滞在中は山の中で、これといった楽しみもなかったので友人とドライブに出かけたり、夜は退屈で縄のれんに行ったりと気をまぎらわしていました。深夜、宿に帰る途中の坂道に島崎藤村の小説に出て来る家並らしきものがあったのを覚えています。木曽福島は藤村のお姉さんが住んでいた所とも聞いています。
 当時、木曽町では年に一回「木曽音楽祭」が開催されていました。友人に誘われ二回ほど聴きに行きました。ホールの前庭でアルプス・ホルーンを鳴らし、松明を焚いての素晴らしい音楽祭でした。また、木曽駒ケ岳は木曽福島の町の目の前にそびえる山ですが、標高が2956メートルと木曽の山並みの最高峰です。私は木曽町に長く滞在していて一度も登ったことはありませんが、友人とある時バイオリンの先生宅にお邪魔した際、突然、部屋の窓から木曽駒ケ岳の全貌が姿を現したのです。余りの美しさに感動してしまい、すっかりバイオリンことを忘れてしまいました。木曽駒ケ岳の登山口からは北方向に北アルプスの山並みが、そして西に独立峰の御嶽山が望めます。木曽福島は娯楽施設こそありませんが雄大な自然に囲まれた町です。もう一度訪ねてみたいところです。

木と弦楽器

長野県の木曽では木を切る事を木を寝かせると言う。さすがに檜の産地である。また、日本の神社に奉納する木は電動鋸などでは切り倒したりはしない。数人で斧を使い時間をかけて切り倒すのである。いずれも自然の摂理にかなったやり方で或る。木は水、土などと並んで神聖な物の一つです。また、木は人間の手を掛けない自然のものは強く、しかも美しく長持ちするのではないかと思います。福島県三春町にある千年桜のようなものではないでしょうか。そして自然の木には美しい音色が秘められている事も解っています。
 ピアノのスタインウエイの時代、そして1600年代のストラデイバリオスの時代には手つかずの木が沢山あったことでしょう。ストラドが作った美しい音色のでる楽器は手付かずの木で作られたのではないかとも想像しています。しかし現代では自然発生の木で楽器を作ることなどと言う事は考えられないことです。木を切る事は木の命を絶つことですが、楽器作りは切り倒した木を蘇生させることではないかと思うのです。また、楽器作りは木工技術であり、音色を創りだす事でもあると思います。多くの木工の世界がありますが、楽器作りは木工技術の最高水準にあり、また、音響の世界でもあります。
 バイオリンの音色は湧き出る清水のような透明感のある豊かな美しい音色をもっていますし、また、低音を支えるチェロは深い音色をもって人間の喜びや悲しみを静かに、時には激しく奏でる事が出来るでしょう。弦楽器を奏でる事は万華鏡のように色彩に輝く宇宙との対話ではないかとも思っていますが、昔の音楽家の人達は満天の夜空に輝く星座に思いを馳せて数多くの曲を創ったのではないかと想像します。まさに調和の霊感ではないでしょうか。
 聖書の詩篇にはダビデが琴を鳴らして神を賛美したと書かれています。「ハープー弦楽器」これは啓示の世界で在り、神が一方的に朽ち果てるべき人間への深い愛の働きであると思います。2014年中国の四川省に旅をした時の事です。旅の三日目に九寨溝の3千メートルを超える高山に登った時の事、山の下り坂で緑色をした木を見つけたのです。こんなに美しさに満たされた木があるのかと感動してしまいました。人の手を掛けない木とはこういう木なのかとしばらく見とれてしまいました。世界にはまだまだ知られざる木が無数にあるのではないかと深い山中で木の世界への夢をふくらませました。

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第16回 国際アントニオ・ストラディバリ記念弦楽器製作コンクール

根本 和音さん

チェロ部門で、優勝(ゴールドメダル)を受賞されました。(日本人の優勝は39年
振り)オンラインでインタビューしましたので、紹介させていただきます。


●今回受賞したモデル:完全オリジナルです。大本たどると “ルジェリ” なんですけど、完全にあれは違うものになっているので、95%ぐらいオリジナルだと思います。箱の全長は755㎜なので普通だと思いますが、アッパーバウツとCの部分がだいぶおデブでお尻はそこまで広げ過ぎないというモデルです。ストラドモデルとはだいぶ違う形ですね。
響き:凄く表現が難しいんですけど、まあモデルをそうゆう風に作る利点というのは自分の思うような音を出すために改変して作る訳ですから、今回の楽器は特に音で勝ちに行くつもりだったので、そっちに重点が置かれてます。僕の楽器作りとしてのやりたいことが音響面ではそこそこ出来た楽器でした。

作品に対する審査員、演奏者、回りの方々からの評価:受賞した時は審査員と話す機会がほぼなくて、ビオラの製作家で2012年にトリエンナーレで優勝されたスイスの方が審査員にいらして、ウライクさんといいますが、その方は僕のニスの先生で、彼女からはメールで良かったんじゃないかなという評価をいただきました。あとは人づてに聞いた話では、これは本当かどうか判らないんですが、審査のとき僕の楽器を弾いてくださったチェリストの方がものすごく気に入ってくださって、最初に音の審査をしてくださったときにはこれがいいと言ってくださったというのは聞きました。



受賞後の変化:仕事量が増えた位ですかね。数年分は在庫があるにはあったんですが、その先がさらに増えた形です。あとは取材関係がかなり増えてチョットグロッキーになっています。あとは The Strad からも取材がありました。その他 “アルキマガジン?” に載せてもらったり、クレモナのローカルテレビとナショナルテレビ、新聞等々と取材がありました。

今後の抱負:製作としては今までと変わらず、奏者の方に喜んでいただけるような楽器を作り続けて行きたいです。どうしても楽器なので見た目の評価もやっぱり職人としてはそっちは大事なんですが、最終的にはどう頑張っても楽器なので、奏者の方に気に入っていただけるような楽器をひたすら自分なりに作り続けて行きたいなと思っています。あとはトリエンナーレだけじゃなくてもドイツミッテンバルトとか他の大きい世界コンクールにもまだ出していきたいなと思っています。

材料について(産地、密度他):産地の固定より僕はどっちかというと材料の良さを見ている形ではあるんですけど、今回のトリエンナーレの楽器は大雑把な計り方ではあるんですけど、密度は計っていて裏板に関しては時々計るぐらいで、今回のやつは表板はイタリア製でどこの業者から買ったかが判らないんですけど、30年ぐらい前の板で、密度が0.37だったかな。裏板は12年ぐらい前のモラッシーの裏板セットです。裏板を買ったのは2014年ぐらいで、トリエンナーレにチェロを出すというのはプロになる前からずーっと決めていて材料探しはずっとしてました。良いものが見つかったら自分のストックの中で更新していくというか、1セットこれはトリエンナーレ用にと買うじゃないですか。他の木材屋さんとか見ていてこれは良さそうと思うのがあったらそれと入れ替えるみたいな形をずっと続けていました。学校を卒業してからずっと探し続けていたんだけれど、同僚がトリエンナーレでゴールドメダルを取っているので彼の意見を聞きながら、表板だけ持っているものの中からこれで行こうかと思っているんだけど、というのをやはりこっちにしようかと1本選んで決めたものですね。

今回の受賞についての出品する前の自信:凄く変な話なんですけれど、元々優勝するつもりしかなかったというか、優勝するという目的で作って出したので、変な命令が同僚から出ていて、僕の兄弟子に当たる方も前回のトリエンナーレでチェロで優勝していて、同僚自身もトリエンナーレで優勝しているので、3回目行くぞということで優勝しようというので始めたんですよ。普段僕が同僚のアシスタントの仕事もしているんですけど、アシスタントの仕事はやらなくていいから自分のチェロに専念しろと言ってくれて時間を掛けることが出来たのがとても良かった。やはりそういう高いレベルのところで4年ぐらい働いていて自分の中の基準を引き上げてもらっていたので。

出す前に日本人の製作家の方同士で見せ合ったりしたか:菊田さん高橋さんには「チェロ出します。」というのはずっと言ってたんですけど、ギリギリだったので白木でお見せしたり出来上がってからお見せしたりは出来なかったです。友人たちにはバイオリンは間に合わないので「チェロ一本で行く」というのは言っていました。

一番左側が根本さんのチェロです。

高橋 明さん

高橋:まず、9月に開催されたクレモナのトリエンナーレ、チェロ部門で
   優勝されたわけですけれど、私は残念ながら上位入賞は出来なかった
   んですが、バイオリンでイタリアのALI賞ーイタリアバイオリン製作家
   協会特別賞をいただきました。そのほぼ1ケ月後に開催されたイタリア
   のピゾーニェで開催されたイタリア国際弦楽器製作コンクールにて
   チェロのプロ部門で1位、同じくプロ部門のバイオリンで第2位を
   受賞しました。
武内:高橋さん、最近音が良くなったんだけど、何か工夫されていますか?
高橋:特に変えてはいないんですけど、一つ考えられることは楽器を完成させ
   た後、1ケ月から2ケ月くらい手元に置くようにしてその間に音ならしと
   再調整をやってます。
武内:楽器の厚さの分布はどうされていますか?トップを厚くして同心円状に
   していますか?
高橋:ほぼ同心円ですが、表板の魂柱部分だけ少し厚くしています。それ以外
   は全く一緒、裏板はほぼ同心円です。表板の魂柱部分の直径20mm
ぐらいの部分を少し厚くしているだけです。それ以外は全く一緒です。
   チェロの場合も同じです。
犬塚:高橋さんのチェロというのを拝見したことがないんですけど、チェロは
   何作目ですか?
高橋:ほぼ2作目です。前回のチェロは2003年か4年ぐらいに作ったんでもう
   17~8年経っていますね。
簗瀬:根本さんはチェロの場合、アーチを表板より裏板を高くした方が良いと
   仰っていたんですが、バイオリンとはちょっと違いますよね。高橋さん
   も今回の優勝されたチェロもそのように作っていらっしゃるんですか?
高橋:私はチェロもバイオリンも表板の方が1~2mm高いです。
簗瀬:何mmと何mmぐらいで作ってらっしゃいますか?
高橋:チェロは覚えていないです。バイオリンは裏板が15mm,表板が16mmです。
   これは音響的な考えというより、板は駒が乗っていて弦の張力が上から
   掛かるので初めに少し高めにしておいた方が良いと思うんです。裏板は
   逆に魂柱で内側から押されるので年月が経つと膨らむ方向に行くのでは
   かと、長年使っていれば弦の張力の力関係で同じくらいになるのでは
   なるのではという考えから表板の方を少し高めになるようにしています。
簗瀬:ありがとうございました。
武内:裏板は古い方が響きがいいと思うんだけど、バイオリンとチェロの裏板
   は何年物くらいの材を使っていますか?
高橋:資料があれば詳細が判るんですけど、今は判りません。大体でよければ
   9~10年ちょっとぐらいですね。 

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根本 和音さん

●バイオリン製作者を志したきっかけ:もともとのきっかけは自分の父親ですね。話し出すと凄く長くなってしまうんですけど、僕は小さいころから物作りが好きで、父親が音楽家で祖父が家具職人で、僕が物を作るのが好きでなんか音楽関係のモノづくりということでじゃあ楽器を作る仕事に付けばいいんじゃないか、みたいなところから始まっていて、それで長野の番場 順さんの工房を10歳の夏休みかなんかに見学させていただいたのが弦楽器の製作という存在を知ったきっかけですね。その後からバイオリンの演奏を習い始めて、技術職なんで早く始めた方が上達できるんじゃないかということで、中学卒業後すぐにクレモナの製作学校に入学した形です。

クレモナでの苦労話或いは日本より良かった点:勿論良いところもあり、悪いところもありで、僕がクレモナに行ったのが2007年だったんですけど、その前に2001.9.11同時多発テロ事件があったので18歳未満での1人での渡航が禁止になっていたんですよ、当時。それがあってアリタリア航空で飛んだんですけど本来1人では飛べないからというのでコーディネーターみたいな方をアリタリア航空から付けていただいて、それは年齢が18歳未満の人に無料でつけてくれるみたいな制度が当時あって、飛行機の乗り降りを全てサポートしてくれたり、あとは当時クレモナの学校に所属していた、その時の僕の先輩に当たるフランス人の方で奥様が日本人で8か国語ぐらいしゃべれる方だった。でその方がクレモナに滞在してらっしゃって、ホームステイのような形でお世話になり始めて、イタリアで言うところの成人になっていなかったので家は借りられない、1 人でいろいろな手続きができないので、すごく世話を焼いてくださいました。18歳になるまではイタリアでの滞在許可が下りなかったので、日本に3ヶ月いて、イタリアで3ヶ月滞在してまた日本に戻るというのを2年間続けた形ですね。日本からイタリアに通っているという感じです

イタリア語の習得:言語はほぼゼロから行って1・2年生のときも製作学校は一般科目もあるので3ヶ月ぐらい滞在してイタリア語になれた頃、日本に戻らなければならず、忘れて戻ってきてまた3ヶ月ぐらいでそろそろ慣れてきた頃、また帰らなければならないという繰り返しで、最初の2年は何もしゃべれな
かったです。3年生に上がるときに1年間こっちにいられるようになり、そこからちゃんとしゃべれるようになったというか、何とかコミュニケーションが取れるぐらいにはなってきて、3年生の終わりの小論文を書く時ぐらいには割としっかり話せるようになってきた感じでした。

最初のバイオリン製作とその後:2年生のとき1年ぐらいかけてバイオリン博物館で売っているバイオリンメーキングの本を買って白木で1本作ったんですよ、1人で家で。フランス人の方も学校の先輩だったんでちょっと教えてもらいながら作って、それ以外は弓をずっと家で作っていました。ほぼ独学で。3年生の時にその白木のバイオリンを学校のマエストロの工房に見ていただきに行って、そのぐらいから学校の師匠の工房にチョコチョコ顔を出すようになって、だんだん話せるようになったんですよ。そこからは本当に師匠に付きっきりというか、製作学校の先生でもあり、学校外でも僕のことを構ってくれるマエストロみたいな感じで、その師匠の工房に通い、学校に行きながら楽器を作っていたという形ですね。

/その頃作っていたモデル:当時作っていたのはストラドモデルで、師匠が最初の数台はモデルを固定しようという方だったので1689年ストラドモデルでずっとやっていました。

根本さんはトリエンナーレのチェロ部門で優勝(ゴールドメダル)されました。その時の詳細については、インフォーメーションに投稿しておきます。 

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2022年春の展示会開催は中止します。

5月21日(土)、22日(日)に開催予定していまし
た「春の展示会」(自由学園 講堂)は、コロナ感染者
が増加しつつあることいを踏まえ、残念ながら中止しま
す。
 展示会の時期がゴールデンウィークより、2週間後の
こともあり、第7波が来る頃になります。楽しみにして
おられた方には、お詫び申し上げます。