大内 啓さん

バイオリン製作を楽しむ

小生がバイオリン製作に興味を感じたのは、小学生の頃で、
同年代の徳永二男さんが全校生徒の前で演奏したバイオリン
の響き渡る音に感銘したのが切っ掛けでした。
 いつの日か本格的なバイオリンを製作してみたいと夢を見る
事になった。少しずつバイオリンに関する資料を集める中で
バイオリンの不思議にのめり込んで行くことになった。この
不思議な楽器を科学的に追及できないものかと考えるようにも
なってきた。
 特にバイオリンを科学的に追及したハッチンスとサンダース
教授の資料には共感した。しかし何だかんだ言っても製作技術
の向上が重要で技術を磨く為にドイツのフュッセンへ留学する
ことにした。無量塔蔵六親方のお話しではフュッセンはバイオ
リン製作で最も古い地であることを後日知ることとなった。

 バイオリンの研究を科学的に解明するために語られてきた事
の検証から始めた。バイオリンの構造はシンプルで形、木材、
ニスの複合作用であろうと検証を進めることにした。
 まずは音に関する基礎知識を学ぶために某大学の先生と共同
研究をすることにした。先生の実験は実にシンプルで下敷きの
シートに剥き出しのオルゴールで行うものでした。オルゴール
の音が100mも離れて聞こえる現実の原因は不明である。
指向性に優れているため現在は地下鉄のスピーカーやオーディオ
に用いられている。
 名器は古木であることから何らかの継時変化が起きていて音
に影響を与える可能性を追求した。注目したのが木材の50%が
セルロースの成分で時間が経つと結晶化することに注目した。
当時開発中のセルロースのナノファイバーの結晶を某大学院の
先生より頂き楽器の裏表に塗布してみた。このようにかなり遠
回りをしながら基礎実験を続けている次第です。

 木材の表裏の板の振動差による響きや音の変化の違いを検証
している。この実験でも何台かの楽器を駄目にしている。

 昔からニスについてはストラドのニスが話題になっているが、
近年の分析技術で主成分は判明している。ニス塗りはまだ慣れ
ない当初は斑が発生し、斑消しのため30回以上塗っていた。
しかし工夫することでその主成分を入れたニスで6回程度で塗り
終える事が出来るようになった。ニスの種類や塗る回数や継時
変化が音に与える影響は知るのには時間がかかる。

 地道な基礎実験は何台も駄目にするのですが、何かが得られれば
と楽しみながら製作しています。






前島 隆生さん

研究製作——私流のアプローチ ——- 木工趣味の極致へ

出発点:  大学のタンゴバンドの練習にとカールヘフナーを買いましたが手に負えずに放置してしまった。本来の木工好きが目覚め、「作れるかも」と思い立ち型取りを始めたが簡単ではなかった。さらにその原図をコピーして型を作ったのが災難の始まりでした。幾多の困難を乗り越えて1台目が形になりましたが、何とも格好が悪い。後から判ったのですが、コピー機の性能が悪く縦横とも等倍でなかったのです。 最初からつまずきのスタートでした。 32歳頃のことです。

材料購入: 当初から材木の入手方法がわからず、とある工房を探り当てなんとか1台分を分けてもらいました。5万円位と記憶していますが、これは大変と尻込みしました。しかし、親切にも250年物の部材や作業場まで見せてくれました。「バイオリン作りは道具の問題じゃないよ」と言われたのが今でもこびりついています。

道具: そこそこの大工道具は持っていましたが タツノヤさんを知る迄は専用の物は有りませんでしたから曲げは蒸気、ミニ反り鉋はハンズで買った物に反りをつけたり、こんなことするのもまあ面白いのです。 道具も使い勝手がいい物は1本で応用が出来ますね。だから使う本数はごく少ないです。 高価な物や勝手の悪い物は自作します。Bending Heaterは40W半田ごてを内蔵し25mm径パイプを頭にし、缶詰め缶から切り出した当て板とも永年使っています。

型(型枠)のこと: よいバイオリンの要素として①美しい(バランスのよい)形②美しい音に集約されます。問題は②に存在する事は明白です。これが困難なため艱難辛苦の責めを受ける事になるのです。  ほとんどの皆さんはストラド型、ガルネリ型モデルをお使いと思いますが、美しい良い音のためにこの型が絶対なのか、現在の素材で作ろうとするからかえってそれが壁となっているのではないかとも思います。それらの型の修正とオリジナル型の作成も大いに有りと考えますし、改良を重ねたモダン、コンテンポラリーも選択肢です。優れた型を取り上げては如何でしょう。 今迄に6つの内枠を自作しましたがVn2 Va1つを残し、これも少しずつ修正しながら使っています。結果アウトラインはほぼオリジナルになってしまっています。音もなんとかレベルを維持出来ていると思います。

古名器の音再現は不可能: 色々なレポートや実験を信用して読む限りその再現は不可能と思います。ならば今叶えられる良い音を作るしかないと切り替えてみましょう。最近かなりの古い楽器を修復する機会がありましたが改めて木材の経年変化度と音質に納得したものです。

立体的形状の検討(隆起形状と高さ): 展示会出品を永年見てきましたが表裏とも低い物が多く見られました。功罪有るとは思いますが、音質面から見ると画一的になっているように思えます。言葉で言うとふくよかな鳴りが足らないのです。板がどうのではなく、胴内の問題かとおもいます。高さについても表>裏 表<裏 決まりはないのでしょうが、裏は材質のちがいでの自由度が高いと思います。表のブリッジラインでの隆起は重要なファクターです。ここはY軸ラインの頂点であるとともにf孔に囲まれた50cm2程ですが駒からの入力ポートであり倍音構成—音色の基本が作られる場所であると考え、このX軸ラインの形状を検討してみる。このライン上 に2つの半円弧を組み合わせた複合カーブを何通りか作って高さに合うものを選んだ。同時に沿部の凹グラデーションも改良した。2014年以降の楽器に適用していますがレスポンスと音量に効果が感じられます。高さ15.5mmは音量音色ともいいのかなと感じます。

F孔面積の検討:2006〜08年展示会でノートに感想を頂いた所、 高域は美しく好ましい音と評価されましたが低域G線域のつまり感や雑音などを指摘され、「弾き込めば良く成るかも」と暖かくも共通のコメントでした。改善の余地有りと考えf孔の面積を検討した。スピーカーのダクト口径の算出式を参考に低域の充実を試みた結果、G・D線の音色に反映出来る事がわかった。

遠透性と雑音:楽音と雑音–楽音とは基音と同時に発生する数次倍音の合成音であろう。雑音とは弓との接触によって起こされる擦過音、正弦パルス波、金属音などでこれらが胴で増幅されてゆく。さて遠く迄届く音とは小さくても耳に感じやすい音だろう。耳元で軽ろやかで柔らかい音は遠くではSN比(注1)が悪く聞こえ難いのだろう。ここに雑音成分(とその倍音)が乗っていると耳は反応し脳が「音が乗っている」と判断する仕組みであろう。一例として緊急車両のピーポーも高齢者にも聞こえるよう,また他の運転者にその所在が判るような音質の研究が行われているらしい。昔の回転式サイレンはうるさいが良く聞こえていたことを思い出すのだ。あれは空気の破裂音–音程のない雑音–がほとんどなのだ。元に戻って、主としてG線音域から適量の雑音成分を引き出す必要からf孔・駒・バスバーへと連鎖した。減衰の少ない駒各部の寸法、補強体としてのミニマム寸法と音色へと試行中である。
(注1)SN比: か細いバイオリンの音は例えば開けた窓際の蝉の音の中では聞こえませんが、窓を閉めれば聞こえますね。 同様に主音と雑音の大きさの比の事で雑音が小さいほどよいとされます。 逆に無音や微弱な楽音の中では小さな雑音でも聞こえやすい、として使いました。

多くの方が出来てない所:展示会のつど細かく拝見してきましたが、音はさておきヘッドの渦巻の工作が悪いと感じます。中には下手!と思わせる物もありました。全体に掘りが浅く表情がないのです。おそらくは削りながらバランスをとって行く作業なので深さやテーパー具合が身に付いてないのだと思います。私のも決して言うほど出来はよくはありませんがここの難しさを熟知している身なので敢えて同感します。

秘密の作業:詳細は書き難いのですが音色に関係します。1つは表板裏面に、もう1つは表UB表面にあります。以上は確たる数字的根拠に乏しい内容ばかりですが、積み上げた結果とおもってお許しください。推論が楽器に上に現れればよいのですから。 より精緻な実験・アプローチや知見をお持ちの方々も沢山いらっしゃいます。従って反論や指摘も有るかと思いますがこの際ご勘弁ください。

山口 大地さん

2012年の秋の研究会の時にVSJの会員になってからあっという
間に4年が経ち、池袋での展示会も今年で3度目の出展となりました。
また今年の9月から晴れてクレモナの製作学校に留学することが決まり
ました。

●バイオリン製作のきっかけ
 一作目のヴァイオリンを製作したのは2009年の夏でした。
コントラバス奏者である叔父の紹介で親のいとこでもある菅沼
利夫氏の元で一から製作について教えて頂きました。バイオリン
の構造も一切わからない状態からのスタートでしたが完成した
一作目のバイオリンを見てもっと満足のできる物を作りたいと
いう欲求に駆られた。その後も工房に通い続けました。

 バイオリン製作家として本格的に活動したいと思ったのは
2011年でのイタリア留学がきっかけでした。当時在籍して
いた神奈川大学の交換留学の第一号として一年間ベネチア大学
に交換留学をした私は現地のイタリアの人たちの優しく大らか
な人柄、愛情あふれる文化に強く惹かれました。彼らの文化に
ついてもっとよく知りたいと思うにつれ、イタリアで永く愛されて
きた重要な文化であるの一つでもあるバイオリンへの関心もより
深まっていきました。特にクレモナはバイオリンの始まりの土地
でもあるのでバイオリンを製作する上で何としても訪れたいと
いう強い憧れを抱きました。

 物を作るのが好きという理由から始まったバイオリン製作ですが
イタリアからの帰国後に師匠である菅沼氏の紹介でVSJに入会
したことで大きな変化がありました。池袋の展示会に初めて楽器を
出展した際、試奏コンサートで実際に自分の楽器がステージ演奏さ
れるのを見て全く別の楽器の様に感じたのは今までにない衝撃でした。
たくさんの来場者の方々とも目と目を合わせながら真剣に接すること
ができました。そしてベテランの製作家の方から自分の様な新参者
まで老若男女問わずバイオリンに関する自由な意見交換ができた
ことは自分の人生においてもとても有意義な体験でした。VSJ会員
の方たちや展示会の来場者の方たち、そして演奏家の方たちのバイオ
リンに対する熱意に接するうちに「自分には何ができるのだろうか」
「こういう製作家になりたい」というイメージをはじめて明確に持つ
ことができました。

 私の父型の祖父は50年間大工として日本のものづくりに長年
関わってきました。母方の祖父は上海の日本人街出身で戦後に最初
の中国語辞典である『中日大辞典』を愛知大学で編纂した後、サラリー
マンとして各国を渡り歩き海外と日本の橋渡しをしてきました。多く
の方たちと接する中で自分の生き方について考えた際、日本のもの
づくりの文化を海外に伝えられる手段としてバイオリン製作はとても
魅力的な職業に感じました。

●これからの課題
 クレモナに留学するにあたって、最も勉強する必要があると感じた
のが、バイオリンに対する姿勢だと思っています。私はこれまであく
まで自分のためだけにバイオリンを製作することしか考えていません
でした。しかしVSJに入ってからの4年間で試奏コンサートや来場者
の方々の意見を通してバイオリンは演奏者が直接手に取って演奏する
ことにより本来の力を引き出すことができる物なのだと痛感致しました。
様々な製作上のミスや精度の問題、音に関するトラブルなどの課題に
直面する根本的なきっかけは演奏家の方たちや演奏を聴く方々の目線
に立って製作することが欠けていたことが原因でした。クレモナの
製作学校でたくさんの方たちと接し、本場の空気に触れることで少し
でも大きく成長することが出来るよう、海外で活動されている日本人
作家の後に続けるよう頑張りたいと思います。

●最後に
 バイオリンを製作し始めた当初は自分が製作家を目指すことになる
とは考えもしませんでした。ですがイタリアの留学をきっかけとして
国際的に活動する製作家の方々に対する憧れを強く抱くようになり、
VSJの会員になってからは皆さんのバイオリンに対する熱意や愛情
に接することでさらにバイオリンの持つ魅力の奥深さについて知ること
ができました。これからは受動的ではなく積極的に活動できるよう、
皆様への恩返しができるよう微力ながら精進致します。






楽器コンクールの表彰式

ビオラコンクール表彰式

菅沼利夫さんの表彰賞授与です。
平田教次さんの表彰状授与光景です。
上田政博さんの表彰です。

チェロコンクール表彰式

栗林守夫さんの表彰です。
犬塚興一さんの表彰式です。

バイオリンコンクールの表彰式

菊田 浩さんの表彰です。
河村盛介さんの表彰式です。
吉川光洋さんの表彰です。

ヴィオッテイとバイオリン協奏曲第22番について

 ヴィオッティの曲が演奏される機会は少ない。しかし、バイオリン史上
に輝かしい足跡を残している。フランスのバイオリン教師群達の先生が
ヴィオッティである。バイヨ、ロード、クロイツェルと続いていく。
 またヴィオッテイがトルテに助言して、近代のモダン・ボーを生みだした。
昔のクラシック・ボーは現在とそりが反対になっていた。最初にストラディ
バリウスで演奏して、その後の人気のもとになった。ストラディバリウスで
「ヴィオッティ」と名付けられた楽器が残っている。

 バイオリン協奏曲第22番というと、四大バイオリン協奏曲を知る者に
とって驚くべき数字である。最近では余り演奏する機会はないが、コン
サートマスターを多く経験している豊嶋泰嗣氏が一夜で3つのバイオリン
協奏曲を弾いた時、その1つがこのヴィオッティであった。イツァーク・
パールマンがジュリアード音楽院の生徒達とこの曲を弾いたCDが発売
されている。昔、この時のドキュメンタリーがNHKBSで放映されて
いた。今回、参考のため、奏者の星野さんに提供させていただいた。

 星野さんは今回、試奏会で4回も弾いていただき、自分の曲として、
消化されていた。リクエストした者として、うれしい限りである。バイオ
リンの曲には、美しい曲が数多くあるが、今回その1つを紹介させていた
だいた。


佐上浩三さん

「毎日9時間、製作に没頭した。チェロを
削るのは体力の限界に挑戦するのと同じで、
夕方には倒れ込んでしまうほどでした。根
を詰めて体を壊したこともあった。でも製
作をやめようと思ったことはなかった。
努力した分だけそれが作品に現れる。形や
寸法だけではない何かが音に現れる気がす
る。楽器製作に巡り合えた運命に感謝してい
る。」と語る。

 楽器製作で心がけていることは?とお聞き
すると、「私の人生のモットーはチャレンジ
。新しいモデルの依頼があると嬉しいのです。
製作モデルはデルジェスが基本で、今までイザイ、ビュータン、コバンスキー
を作ったが、次はハイフェッツモデルを製作する予定です。それぞれのモデル
とペグ、テールピースの材質との相性も調べてみたい」と熱く語られた。

 VSJに期待することは?とお聞きすると。「心中したいくらい好意を持って
います。会員の皆様にも随分お世話になりました。まず小林陽一さん、今使って
いる図面や資料はほとんど彼からもらいました。久我一夫さんにもいろいろ教わ
り、富川 智さんの福島の工房には泊りがけでお邪魔し、いかに美しく仕上げる
かを教わりました。石井建夫さんの教室には何度も通い、その結果は音質にも
変化があったと感謝しています。生命ある限り製作していきますので、皆様よ
ろしくお願いします。

 佐上さんは現在81歳、今までに作ったバイオリンは50数台、ビオラ17台
チェロ5台。これら佐上作品による室内楽が大阪と東京で開催され大きな反響
を呼んだ。作品は庄司沙矢香さん、細谷真理さん、芸大生などに愛用されている。

小林陽一さん

当会には、同じ製作者として頭が下がるような努力と研究、そして社会に貢献をしてこられた先輩がたくさんいらっしゃいます。VSJの原点として、本レポートに連載していくことになりました。初回は小林陽一さんです。

 大正4年7月8日福岡県生まれ、今年92歳になられました。旧制九段中学を卒業後、鉄道省に入省。昭和15年、25歳のときに陸軍に徴集され自動車隊に配属、兵役後は現在のキャノンに入社し、レンズの研究。太平洋戦争で2度目の徴兵、30歳で結婚。終戦後は交通公社職員としてロシア、オーストリアなど世界の音楽の都を訪ねることができたそうです。激動の人生の中、変わらなかったのが音楽への情熱。中学生のときバイオリンに興味を持ち、アマティ、ストラディバリやガルネリの文献を調べ、音楽の先生にバイオリンを作りたいと相談した。しかし父親の猛反対で諦めざるを得なかった。でも、いつかバイオリンを作りたい!と社会人になってからも文献を集め続けたのだそうです。

ヘロン・アレンの原文をたよりに初めてバイオリンを作ったのが62歳。音楽之友社主催のバイオリン作り特集に応募し、初めて専門家の指導を受けることができたのが66歳の時だったそうです。その後一年に2台ずつ作り続け、今まで作ったバイオリンは35台、ビオラ4台、チェロ8台。これらの多くは現在、千葉県少年少女オーケストラで使われている。きっかけは佐治薫子(さじ しげこ)先生との出会いである。ある日、小学校の窓越しにすばらしいエグモントを聞いた。そして楽器が足りなくて困っていた先生に小林さんは楽器の提供を申し出たのである。その後も多くの作品が託され、佐治先生は数々の小学校のオーケストラを優勝させた。先生が定年となる1996年、千葉県は少年少女オーケストラを創設し彼女を音楽監督に就任させた。

 小林さんの喜びは自分の作品が少年少女オーケストラで代々引き継がれ、弾いてもらえること。そして卒団した子供たちがバイオリニスト、ビオリスト、チェリストとして活躍を始めていることだそうです。

小林さんの90歳の誕生パーティーにて。ご挨拶されているのが佐治先生です。
千葉県少年少女オーケストラ第9演奏会にて。隣は堂本知事です。

佐藤康夫さん

今回ご紹介する先輩はVSJの初代会長
佐藤康夫さんです。2001年、日本弦楽器
製作者協会の私達の準会員が存続の危機に
あった時、佐藤さんは私たちの代表となっ
て。権利を守り、平和的に分離、独立させ
るために尽力され、初代会長として当会を
一人立ちさせてくれた方です。

 佐藤さんは1933年1月新潟県上越市(直
江津)に生まれ、旧制高田中学、高田高校
を経て早稲田大学第一理工学部を卒業。首
都高速道路公団計画部長、八千代エンジニ
ヤリング(株)常務取締役などを歴任。

 バイオリンに初めて触れ合ったのは、幼少の頃に蓄音機で聞いたエルマン
のトロイメライ。高校の時、お父様に鈴木バイオリンを買ってもらったが、
演奏は中断。社会人になって仲間」と弦楽合奏をはじめ、それが縁で行方
不明になっていた鈴木バイオリンと再会する。そして修理のため松岡順治
氏と運命的な出会いをすることになったのである。バイオリンを作り始めた
のは40歳の頃、全ての精力を製作一筋につぎ込んだ。当時は情報も少なく、
松岡氏の話とヘロン・アレンの本が頼り。技術は自分で盗むものという職
人気質の時代で、先輩の話に耳をそば立て、楽器を穴の開くほど見て回った。
近所のお宅にDel Gesuがあるらしいことを聞きつけて弾かせてもらいに行っ
たり、デパートなどの展示会を見つけては、頼み込んでStradやDel Gesuを
弾かせてもらった。ニスを探して電話帳を頼りに江東区界隈をさまよい歩き
麒麟血を求めて漢方薬店を訪ね、カテキュウは織物店で見つけた。とにかく
ホルバイン社を訪ねてもマスチックの名前すら知らないという時代だった。

 佐藤さんの楽器作りは上述のように、楽器を良く見て、実際に弾くこと
から始まっています。日本弦楽器製作者協会の準会員となり、1990年に手工
弦楽器展にて協会賞を受賞されています。「バイオリンは基本的に音楽を奏
でる道具ですから、ちゃんとした音が出なければなりません。しかしその上
にきっちりした製作技術と美的要素が必要だと思います。良い楽器は必ず何
か美を感じさせます。またその様な楽器は音もしっかり出ていて、完璧な楽
器はオーラすら感じさせます。表板、裏板などのアーチングを見れば、その
楽器がどのような音が出るか、おおよその想像ができるものです。」とおっ
しゃっていました。佐藤さんは長年製作されていますが、自分の楽器には
色々な欠陥が目に付き、未だに満足できる作品がないとのことで、現在も
謙虚に製作に取り組まれています。

 今後のVSJに期待することは?「バイオリンの製作にはプロもアマも
ありません。より良い楽器を製作しようとする製作者は勿論、バイオリン
製作に興味のある音響研究者や演奏家にも参加してもらい、自由に話し合い
研究し合える、開かれた会になってもらいたい」とおっしゃっていました。

NHK 「音楽の広場」に出演。81年2月 佐藤さんと黒柳徹子さん、故芥川也寸志さん、無量塔蔵六さん

野田脩次さん

東京在住のお姉様との知り合いという偶然
から、世田谷区等々力に工房のあったある製
作者の先生と知り合うと事になったのがきっ
かけで、この道にどっぷりとつかることにな
ってしまったのです。以来、全国各地に転勤
すりたびに、その地域の製作者の門を叩き
独学で作り始めました。いろいろな方たちと
も知り合い、例えば、徳島に行ったときには
香川県の現会員、対馬貞夫さんともお会いし
ていたとのことです。

 その当時、日本弦楽器製作者協会にはそう
した方々と楽に入会できたそうで、弦楽器なら何
でもよく、三味線から胡弓や二胡、あるいは沖縄
の三線からギター、リュートなどの製作者まで、
幅広く、会員がいたのだそうです。その頃、同協会
には「昭和の親方」として有名な無量塔蔵六さんや
陳 昌〇さんたちとも活動し、そして定年以降は
故郷の伊豆の国市のご自宅工房でひたすら製作に
励まれました。